後光殺人事件/小栗虫太郎 著

 新年明けまして御目出度う御座います。という挨拶は松の内(正月七日)あるいは小正月(十五日)までが相場のようで。
 兎も角今年もどうぞ宜しく御願い申し上げます。

 さて二〇一三年の一発目は、小栗虫太郎先生の推理小説、法水麟太郎シリーズの第一作目で御座います。ご存知の方は解るかと思いますが、昨年末紹介した「ドグラ・マグラ」と同年に刊行された三大奇書の一書「黒死館殺人事件」を読みたいと思ったのが契機で。
 しかしながら、さて開いてみると恰も登場人物が既知であるかのような出だしで記述されており、出し抜けに混乱の嵐ですよ。好みの二次創作小説とかならまだしも、これは流石に一作目から読まねばなるまいと思い立ち、本作を読む事に致しまして。そしたらやっぱりこれといった背景も無く事件発生と推理開始ですよ。まあ何ですね、そういえば近代小説は大概そういうモノだったような気もします。

 ただ、先生の作品は取り分けそうした混乱を強く受けました、というのが第一印象でした。何と言いますか……ぶっちゃけ筆者にとっては物凄く読み進め難い小説でした。とはいえ巧いとか拙いとか、そういう枠組みとはまた違った読み難さのように思います。例えばそうですね、筆者は樋口一葉先生の作品を読み切れません。筆者にとって読み進め難い小説はああいう作品。区切り方が掴めない。
 小栗先生の作品は、樋口先生の作品のような文章構成的な区切り難さとは少々異なります。句読点はそれなりにありますし、晦渋という程難しさも感じず、十二分に状況判断出来る風景描写がなされています。ただ必要以上に細かく描写されているためか、その豊富に過ぎる情報が筆者の脳内での内容整理を妨げ、それが為に内容の区切りを付け難くしているように感じます。

 つまり筆者の頭が悪いという。しかたないね。都合二度の読み返しで漸う理解に及びました。でもトリックの詳細はよく解りませんでした。なさけないね。

 気を取り直しまして。内容ですが、ページ数も少なめで、所謂コテコテな推理小説なので、あまり詳しく書けません。
 事件の概要は以下のような感じ。

 被害者は胎龍なる住職、遺体の場所は玄白堂なる荒廃した堂宇の中、砂礫が敷き詰められ大石の転がっているところで、大石に背を凭せ、両手に数珠をかけて合掌したまま、右目を見開き鎮痛な面持ちで端座した状態で見付かった。致命傷は頭頂部の円い鑿型の刺傷で、流血は火山型に盛り上がり凝結しており、それ以外にこれといった外傷も争いのあった形跡も無し。さて……。

 遺体の外傷のところは、もっと詳細に描写されていたので少し違っているかも知れません。
 登場人物も簡単な感じに。推理小説は登場人物の把握が必須ですね。

  • 法水 麟太郎のりみず りんたろう
    一流の刑事弁護士。主人公。
  • 支倉はぜくら
    検事。法水には割と親しげ。
  • 熊城 卓吉くましろ たくきち
    捜査局長。法水には割と横柄。
  • 鴻巣 胎龍こうのす たいりゅう
    被害者。普賢山劫楽寺の住職。以前は堅山画伯と名乗っており、今は絵筆を捨てた模様。
  • 雫石 喬村しずくいし たかむら
    法水の友人。胎龍と並んで木賊派の双璧と唱われる。柳江に横恋慕している。
  • 厨川 朔郎くりやがわ さくお
    同居人の洋画学生。厨川の室から胎龍の傷口に合う彫刻用の鑿が見付かった。
  • 鴻巣 柳江こうのす りゅうこう
    胎龍の妻。過去に女流歌人の名声がある。
  • 慈昶じえい
    納所僧。事件発生の直前に、胎龍と薬師堂で祈祷していた。
  • 空闥くうたつ
    納所僧。事件発生の直前、本堂脇の室で檀家と葬儀の相談をしていた。
  • 浪貝 久八なみがい きゅうはち
    寺男。薬師如来の狂信者で、ひと月前に郊外の癲狂院を退院した。胎龍の祈祷中の姿を見かけている。

 幾つか振り仮名が無かった為、勝手乍ら予想で記載している箇所が御座います。さて先述の通り、所謂コテコテな推理小説。昨今の推理小説にも通じるような、かなりトリッキーな内容で出来ています。ただ少し異なる点としては、凶行に及ぶための流れには小道具ばかりに頼らず、被害者の精神的な部分をも大いに活用している事でしょうか。こうした不審死を演出するカラクリは、ともするとピタゴラスイッチ的な物理的手段ばかりに拘泥しがちなところがありますが、それのみに囚われず「精神」という不確かな要素を組み込んであるのは実にニクいですね。
 ただ筆者の個人的感想として、胎龍の過去の所業から想像する彼の精神を想像すると、いくら何でも純真に過ぎないかと感じました。ちょっと無理があるような。信仰心は別腹って事かしらん。あと、犯行動機についての練り込みが少々御座なりに感じました。後付け感というか後出しジャンケンというか……いやまあ一応伏線は最初の方にあったと言えばそうかも知れませんが……。更には、そうしたデリケートな部分を何故法水が推理し切れたか、という点が不明瞭。気心というのは当人同士の付き合いの深さで知れるものと筆者などは思うのですがね、はて物言わぬ屍体を前にして、そこまで精神分析する事は実際問題として可能なものなのでしょうか……?

 文章構成ですが、こちらも先述の通りです。ただ思うところとして、こうした推理小説では「必要以上に細かく描写されている」というのは案外正しい書き方なのかも知れません。考えてみれば、玉石混淆にちりばめられた痕跡から事件に関わるものを取捨選択して、事件の展開を論理的に推し進めて真相を解明する事がすなわち推理なわけですから。必要以上な細かさは、玉石混淆にちりばめられた痕跡なのだと思います。
 後はまあ、読み手の趣味の問題になりましょうか。本作では犯行動機が少々難有りな気もしますが、主人公と共に推理をしつつ読み進める事に推理小説の醍醐味を感じる方には、実に面白く読める小説かも知れません。残念ながら筆者は世界観や物語への移入にこそ喜びを得るタイプの読者なので、あまりそうした楽しみ方に興味を持てませんが……あー、だから読み進め難いと感じたのかも知れません。

 そんな感じで。