聖アレキセイ寺院の惨劇/小栗虫太郎 著

 身の回りの事が忙しくなると、何故それ以外の事に熱中したくなってしまうのでしょうね。暇な時は暇を持て余す事に執着するのに。
 さながら試験期間中に掃除をしたくなるような。さながら就業中に調べ物ばかりしたくなるような。そして土日は寝て寝て寝まくるような。
 天邪鬼ですな。すなわち仏教における人間の煩悩ですな。記紀において天若日子や天のさぐめが由来とされますな。和漢三才図会にては建速須佐之男命の胸腹に満ちた猛気から成る天逆毎や、その子にして九天の王たる天魔雄神ですな。まあ何と申しますか、人心の妖怪であります。やる気出したいのにやる気出ない! ふしぎ!

 さて。先月に続き、小栗虫太郎先生の推理小説、法水麟太郎シリーズの第二作目を読了いたしましたので所感などを。
 本当はこの前にひとつ読了したものがあるのですが、何とも感想の書き辛いものでして諦めました。……まあ、うん。古事記の再読だったんですがね。帝紀含むと、読物としての個人的所感はちょっと無理……。旧辞からの編纂箇所は凄く面白いんですけれどもね。何たって神話ですし。

 今回は『聖アレキセイ寺院の惨劇』という御題で、殺人事件ではありませんでした……と申しますと語弊がありそうですが。正しくは「惨劇はあったけれど事件ではありませんでした」もしくは「殺人はあったけれど事件にはなりませんでした」ですね。どうしてそうなったかというと、筆者にも解りません……どうしてこうなった。

 さていつもの通り、内容をば。惨劇の概要は以下のような感じ。

被害者は聖アレキセイ寺院の堂守ラザレフ。遺体の場所は寺院の鐘楼の、半ば開かれた扉の間。致命傷は洋式短剣で咽頭を突き上げた際に気道を塞いだ事による窒息の模様。両手を前方に投げ出し指を鉤形に屈曲させ、腰を奇妙に鉾立てたまま上半身を俯した状態で、これといった外傷も争いのあった形跡も無し。惨劇の当夜、鐘楼からはその機械装置の仕組みに沿わない鳴鐘があったが、さて……。
 なるたけ文中の語でまとめてみましたが、ちょっと想像するのが難しい感じですね。本文中には寺院の簡単な見取図もあるので、そちらも参照すると良いかも知れません。
 いつもの通り、登場人物について。

  • 法水 麟太郎のりみず りんたろう
    一流の刑事弁護士。主人公。支倉に要請されて、真冬の明け方にも関わらず聖アレキセイ寺院に関わる事となる。
  • 支倉はぜくら
    法水と親しい検事。私宅が聖アレキセイ寺院に近い。払暁五時頃という時刻外れの鳴鐘に白露人保護請願の条項を思い出し、法水と該寺院で落ち合う事に。
  • 熊城 卓吉くましろ たくきち
    法水に横柄な捜査局長。
  • ヤロフ・アヴラモヴィッチ・ルキーン
    寄席の軽業芸人で、侏儒こびとのマシコフとも呼ばれる露人。ジナイーダとの初夜だったが、同志からの偽電報を受けて豪徳寺駅付近の脳病院裏に呼び出されていたという。
  • フリスチァン・イサゴヴィッチ・ラザレフ
    聖アレキセイ寺院の堂守。吝嗇家で、東京中の白露人全部が殺害の嫌疑者になると言われる程に金銭問題があった模様。
  • ジナイーダ
    ラザレフの娘姉。ラザレフとは養子の関係で、年頃になってから修道女となった。ルキーンとの婚約は彼の貯金を目当てとしたラザレフが決めた模様。
  • イリヤ
    ラザレフの娘妹。姉と同じく、ラザレフとは養子の関係で、姉よりも幼い頃から育てられ修道女となった模様。ルキーンに懸想している。
  • デミアン・ワシレンコ
    一種の志士業者で右翼団体の天竜会に養われている。結核患者。ジナイーダに懸想しており、彼女の結婚の噂を聞いて惨劇当夜に近所をうろついていた。

 前回に増してコテコテな推理小説になっています……が、前回に増して推理部分が解り難いです。図で説明されないと多分無理……そして例え図で説明されたとして、このトリックは果たして上手くいくのだろうか? といった疑問がががが。何だか法水のドヤ顔した推理説明に丸め込まれたような読後感が……。ウーンどうなんでしょう。
 そもそも文中の言葉が解りません。鍵の押金って何ぞ? お化け結びの結び方は? あまりに解らず納得いかないので文中の言葉を検索しつつ理解を深めようとしたのですが、解らない言葉の検索結果が全部青空文庫の当該小説。こ  れ  は  ひ  ど  い。
 取り敢えず「鍵の押金」については、OKWaveの「鍵の名所で押金(おしがね)について、おしえてください。 | 防犯・セキュリティのQ&A【OKWave】」が参考になりました。成程「レバータンブラー錠 ~ 鍵と錠前の知識」の仕組みならトリックも何とかなりそう、かも。
 それにしても「お化け結び」が凄く知りたい。どんな結び方なんでしょう。誰か教えてください。結んでみたい。
 さておき、どうも先生の小説は全体的に誤用というか造語を盛り込んでいるようで、読み進め難さの理由にはこうした問題もあるように思えます。上述の人物紹介もなるたけ本文を参照にして書きましたが、例えば「志士業者」て何だよって話ですね。字面から何となく、革命なり何なりの運動家の態をした商売人というか詐欺師かなと想像するわけですが、この言葉自体は辞書などでも参照出来ませんでしたし、そんな感じの言葉が他に幾つも……。「後光殺人事件」にもそうした言葉選びがあったかも。
 敢えてこれを擁護するならば、例えば実生活において我々が仲間内でそうした誤用や造語的会話をしないか、といえばそうでもなく、ならば小説においてもより現実味を演出するためにこんな技法も……いや、ウーンどうでしょう。使う分には良いんですが、説明が欲しいですね。少なくとも明快な結論があってこそオチになる推理小説としては、かなり致命的な気がします……。

 話が文章構成と前後してしまいましたが。本小説に関する筆者の個人的な見所としましては、法水とジナイーダとの神学的見解、およびそれを承けて法水がジナイーダのいた修道院の宗派を推測する所でしょうか。といって筆者には神秘神学の知識がまだ殆ど御座いませんが、こうした言動や振舞いから見える宗教観の違いの発露というのは実に興味深く思います。何となれば人間の心理面からくる行動、或いはその逆を表現しているわけで、先生の神秘学的知識の深さと洞察力が生かされた一場面だと筆者は思うのです。
 三大奇書の一書「黒死館殺人事件」は衒学的小説の大作と噂高いですが、ウーン今から実に楽しみですね。

 あとは今回の惨劇に関する推理について法水と支倉と熊城が三者三様の推理を展開して話し合う(といっても法水は二者の推理の瑕を指摘するだけですが)展開が、なかなかに面白いナァと思いました。
つまり共通する一つの惨劇に対し、各々が何処に注視して推理し、それらの何処にミスリードがあるのか、という事が表現されているわけです。よくある推理小説の、不可解な事件を聡明な主人公がズバッと解決、という形式から一歩進んで「ではそれ以外にどう考えられるのか」「他の考えには何処に問題があるのか」に焦点が当たっています。筆者は推理小説の歴史に疎いので、かつてそうした手法があったかどうかは存じませんが、少なくともシャーロック・ホームズの助手ワトスン博士のそれよりも更に踏み込んだ、もう少し事件の全容を俯瞰して導出した表現のように感じました。……読み難さからくる幻惑では? と言われれば、ちょっと否定し難いですが(ぉ

 余談ですが青空文庫にあるアーサー・コナン・ドイルの小説は短編ばかりなので、かなりお手軽に読めてお勧めです。筆者も全部読了しました。ちょっと短編過ぎて所感をどう書こうか迷ったまま今に至りますが……。いずれ再読して書くかも。

 最後に。法水よ、その結末を個人的見解で判断しちゃマズいでしょ……。この展開ばかりは筆者も納得いきません。まさに、どうしてこうなった。

 そんな感じで。