豆腐小僧双六道中 おやすみ/京極夏彦 著

 先生の著作は興味深いなあ。というわけで新刊、今更ですが読了しました。
 前回「ふりだし」同様、二人称の落語調で物語が展開します。妖怪談義も楽しいながら、読んでいて本当に落語を聞くように、するするするりと読めるところが豆腐小僧の魅力ですね。いやあ飽きさせません。いささか尾籠な話も御座いますが。

 さて今回「おやすみ」では、豆腐小僧が武者修行と称して武州から甲州へ。そこで起きる蟹坊主騒動、足許ころりん天吊るしの怪異と、人間界隈で見え隠れする大金絡みの悪巧み。最後の最後はお約束、美味しいところを豆腐小僧でございまするぅと丸く治める感じのお話。

 物語としましては、前回にも増して(書き慣れた?)人間側と妖怪側の付かず離れずな珍騒動が魅力的です。人間側も中々にお間抜け揃いで楽しいですが、妖怪側の遣り取りは輪をかけて愉快です。若干シュールな掛け合い漫才。
 たまにはシリアスな場面も御座いますが、基本はギャグで構成されております。

 しかしまあ、筆者としてはどうしても蘊蓄に意識が向いてしまうような訳でして。蟹坊主や隠神刑部率いる八百八狸の伝説、甲州地方の怪異譚の紹介は嬉しいところ。貴狐天王と猫又の三毛姐さんとの熾烈な口論も、狐狸妖怪の由来の比較が実に興味深いです。
 河童/カンチキに見る「妖怪」というコトの何たるか、後講釈としての妖怪像なんかも京極作品好きには垂涎モノ。怪異への現実的解釈も相変わらずの徹底振り。霊感や審神者さにわの仕組みなど、感心する事頻りです。

 今回「おやすみ」に対する個人的所感ですが、もっと徹底して人間側と妖怪側を分けるか、いっそファンタジー世界に踏み込むくらい融合した方が物語に納得できるように感じます。
 というのも本シリーズ、先生の他作品と一線を画す「キャラクタとしての妖怪」モノ。人間と妖怪が無条件にドタバタするようなファンタジーでは御座いませんが、しかし一部「この世にゃ不思議なことなぞ何もない」こともない内容があるわけです。
 これに筆者は、幻想的な妖怪への魅力より、それまでの現実的な妖怪解釈に対する裏切りを感じました。
 文章構成が原因かも知れません。雑誌連載を本にまとめたもので致し方無いのかも知れませんが、場面毎くど過ぎるくらいに「妖怪は説明/現象/etcだ」「妖怪は居ない」が繰り返されております。すると人情的には、それを根底とする世界観として読み進めたくなるわけです。そこへきて根底を覆すような場面が来たら、まあ裏切りは大袈裟にしても「えぇー……」と呟きたくもなります。よね?
 或いは前回「ふりだし」と比べ、該当の摩訶不思議に対する説明不足が原因かも知れません。前回は儒学者の室田了軒が感得してましたが。

 なおこれは作品の面白さを否定する感想では御座いません。納得できるか、できないかという点での所感です。
 そしてこれは考え過ぎなのでしょうけれど。この構成、実は先生からの読者に対する謎掛けか、等とも勘繰ってみたり。つまり徹底した現実的な妖怪解釈でもって、この非現実的な出来事をどう捉えるか……何て。

 そんな感じで。