三四郎/夏目漱石 著

 読みたい本を片端から手に入れるのは良いんですが、読書に要する時間の長さと理解に至る考察の鈍さと興味を保つ精神の弱さには筆者自身辟易する事甚だしく。本を読むという行為は常に楽しくなければ嘘だと思うのですが、儘ならないものです。
 そんな中でも創作小説は良いですね。創作それ自体には罪がありません。嘘も真も隔て無く呑み込まれています。そこにはただ、オモシロイがある。そんなわけで日々の仕事に魂を削られるなか、せめて通勤時などの空白時間、休日外出時の喫茶休憩くらいはと、好きなものを読む日々を過ごしております。

 通しで読んで二巡ですが、折角読了したので今回は夏目漱石先生の「三四郎」をご紹介致します。あまりと言えば有名過ぎる作品故、筆者如きが分不相応とは存じますが。

 まずは簡潔に主要人物概観を。

  • 小川 三四郎
    本編の主役。東京帝国大学に入学するため、九州から列車で上京。割と素直な質で、必要な事しか述べない寡黙な印象。けれどこれは文章構成からくる印象かも?

  • 本編では終始手紙でのやりとりをしている。三四郎の地元の所謂地主で、三四郎の事を常々心配している雰囲気がある。
  • 野々宮 宗八
    三四郎の同郷で先輩、三四郎の母とも交流がある。独身で、理科大にて光線の圧力の研究をしている。妹の事をよくばかだと言う。
  • 佐々木与次郎
    大学の最初の講義で三四郎の隣に座って教授のポンチ絵を書いてたのがきっかけ? で三四郎と友人になる。色々な活動を手掛けていて、寄宿先の広田先生をよく世話している。お節介して空回りする質。ダーターファブラ他人事ではない
  • 広田 ちょう
    与次郎の寄宿先の英語教師。独身、喫煙者。鼻から哲学の煙を吐く。三四郎の上京に際しても、奇縁と言おうか度々出会っている。何というか、尊敬されべき先生という印象。ハイドリオタフヒアって結局何だろう。
  • 里美 美禰子みねこ
    広田先生の友人の妹。もう一人恭介という兄が居るが、その上で早くに亡くなった兄との関係。旧き才女といった印象。迷える子ストレイ・シープ――わかって?
  • 野々宮 よし子
    宗八の妹で兄を慕っている。多少病弱なのか、三四郎との最初の出会いは入院先の病院だった。才女という感じはあまりない。よくってよ。知らないわ。
  • 原口
    宗八や広田先生と交流のある画家。美禰子の肖像画を描く。あと馬鹿囃子を稽古するとか鼓を習うとか。画工の描き出すものについての語りはなかなか面白い見解。

 物語は明治末期が舞台です。始まりは三四郎の上京から、そして幾つかの偶然的また蓋然的な出会いを通して、東京で生活する……こうしてまとめてしまうと甚だ味気無いように見えますが。実際、物語自体はそんなもんで特筆すべき点は無いような。図書館の空間を好んでみたり、割と真面目に講義を受けたり、与次郎と学生集会に参加してみたり、割と大金を美禰子から借り受けたり云々……よく有りそうな話です。
 ただ三四郎はこの上京から少しばかりの間のうちに、自分の内で三つの世界ができた事を認めます。簡単にまとめれば、一つは田舎。一つは広田先生や宗八の居る、貧乏ながら晏如あんじょとした、云わば学問の世界。一つは美禰子の居る、華やかながら近付き難い、云わば男女的情緒的な世界。そして物語は、三四郎がこの三つの世界を行ったり来たりしながら進みます。ですから概念的というか哲学的というか、そうした見方で読み進めると実に巧みな文章構成であることが解ります。本作は本邦最初の教養小説とも呼ばれるそうですが、ジャンル的なそれのみならず、物書きにとって教養となる小説とも言えるのではないでしょうか。

 そして毎度の事ながら美文麗文雨霰。先生の書くものの言い回しは難し過ぎず軽過ぎず、実に読者の感性へ響いて残るものだと感じます。上記三つの世界観については四章の中程に出てきますが、非常に読み応えのある箇所です。日本語ってこんなに表情豊かな言語だったんですね。日本人として生まれて幸せだな、などと思う今日此頃。

 筆者は本作を中学校だかの国語の教科書で一部だけ掲載されていたのを記憶しています。一部だけなんて非常に勿体無い。イヤ全文載せるなんて実際問題無理ですけれど、しかしこれは是非通読して頂きたい作品ですね。そして先生の美文に酔い痴れて皆大好きになっちゃえば良いんだ。

 そんな感じで。