蟹工船/小林多喜二 著

 実家方面に用事が出来て、最近の土日は新幹線に数時間揺られて過ごしております。そんな時間は本を読むのに限りますね。ただ通勤電車と違って、ゆったりした席に座れるうえに振動もそれ程酷くないものだから、陽気に当てられてうとうとと……。
 そんなわけで何か面白そうなものと見繕ってみましたが、過去読んだものの再読も良いかなと思いましてこちらを。二巡目ですが、所謂プロレタリア文学というやつです。

 「工船」であって「航船」ではない、蟹工船博光丸。遥かオホーツク海上でたらば蟹漁と缶詰加工をするこの船には航海法も工場法も適用されず、労働者は非人道的な扱いを受けていた。毎日底冷えするような海上で体を削るような労働を強いられ、碌な食事も与えられず、「糞壺」と揶揄される薄暗い船底で虱だの南京虫に責められる過酷な日々。次第次第に虐待、過労、病気で倒れていく仲間。ついに彼らは数人の指導者のもと、ストライキを決起するが……。

 文章構成の大枠は起承転結を確りと踏まえておりますが、その筆致は何とも不思議な感じを抱きます。よく見る小説の「何が何して何とやら」と読点区切りの文章がつらつら続くのではなく、時に句点区切りで会話が入りの、時に会話途中で風景描写が入りのして進みます。ところがこれが、物語進行に多少の混乱を来しはするものの、ある意味流れるような軽やかさがあって読み進め易くもあります。その点に於て筆者は近代小説というよりも、現代の所謂ライトノベル寄りな印象を受けました。こういう構成は何と呼ぶのでしょうかね、無学故恥ずかしながら存じませんが……。
 で、そのような構成であるためか、文章表現の殆どを登場人物の会話と風景描写が占めています。感情表現は添えられる程度で、夏目先生を始めとした個人主義的な文学と比べると幾分あっさり風味。ただそれは、対して全体主義、と呼ぶのかは存じませんが、兎に角その会話から成る人間同士の関わりと、それらの行動を時に抑制し時に解放する周囲の風景描写とが相俟って、一つの世界観を創造し、その動静を巧みに表現します。感情を動作や様子で表現する……というと幾分語弊がありますが、ひとつの表現手法として実に興味深く、また巧く構成されていると筆者は感じました。

 ただその構成故か、読み進めるに当たっての親切さには欠けるかなと。つまりこれは全文通しで一箇の世界観とその感情表現が成されているため、切れ切れに読み進めると話の大筋を見失いそうになるのです。取るに足らない日々の出来事を別個に見るようなもので、ヤマもオチもイミも無い感じです。
 幸いにして本書は短く、一気読みの十分可能な分量となっております。ですが少しずつ読みたい方にはちょっとお勧め出来なさそうです。

 内容は面白い、というより興味深いです。ただ内容が内容のため、感動とか驚嘆とかよりも憐憫とか鬱屈といった負の方向性の感想になるかと思います。そして所謂プロレタリア文学、昨今では然程新鮮さの感じられない題材ではありますが、そこは時代でしょうか。それでも確かに「糞壺」へ堕ちた漁夫達への同情は禁じ得ず、そこから「赤化運動」を絡めた意識改革が起きるところなどは展開における妙味があります。

 ただ、ですね。卒爾乍ら一言注意を促したく思いますのは、本書は「過酷極まりないプロレタリア世界」を切り出した物語として読まなければ、正しくない思想(間違った思想、ではない)に囚われる恐れがある、ということです。
 木を見て森を見ずという言葉も御座います、ある一つの物事があたかも全てを表すように捉えることは大変危険な事だと筆者は思います。畑違いの筆者がこのような事を述べるべきではないかも知れませんが、敢えて勘違いを恐れず申しますれば、本書ではあくまで資本と労働の不一致による軋轢を主題とした「だけ」の物語なのでしょう。現実には、蟹工船 - Wikipediaの記述を信じるならば、ゴールドラッシュも斯くやと言わんばかりの蟹工船もあったようです。ならばそこには資本と労働の一致があったのだ……とも考えられましょう。一概に「資本主義=悪」とは言い切れないのです。特に本書の場合、そのような点を踏まえた上で読み進めなければ公平には読み解けない、と筆者は強く思います。

 何でそんな感想なの、と思われるかも知れません。筆者はこれまで全く存じませんでしたが、何か平成二十年頃に蟹工船ブームというのが起きたそうで。某新聞社殿主催の作家対談が火付けとなり、アノ党が増員したのは蟹工船の影響が云々、とか昨今のワーキングプアの実態は蟹工船の世界によく似て云々、とか。ふーん。
 確かに本書だけを取り上げての感想ならば、そう言いたくなるのも人情と申しましょうか、至極単純な感想と申しましょうか……。過ぎ去ったブームを今更論うのもどうかとは思いますが、結局これも木を見て森を見ずな話だ、と筆者は考えるのです。
 何故と言って、昨今のワーキングプアの実態が似てるというなら、まず蟹工船の書かれた時代と比較するか、少なくとも先述した現実の蟹工船も考えなければならないでしょう。ましてアノ党が増員した元凶理由なんてのは、まず入党した人間の出自を調べろって話です。そうした下調べもせず、例え作家対談という形式であれマスメディアに載せ、例え一過性とはいえ蟹工船ブームなどというものを作り上げたその行為は、はっきりと不公平なミス・リードでしょう。プロパガンダと言われても止むを得ないかと存じます。
 ところでですね。某新聞社殿は人(世の中)の振り見たなら、我が振りは正したのでしょうか。漫才じゃないんだから、こういうオチ要らないから。

 そんな感じで。